31期SOP研修報告

研修関連
2026.06.18

三浦高史

研修関連
2026.06.18

三浦高史

 SOP研修とは

 研修テーマは「良い建築を見る」です。

 近年竣工した建築を見学し、空間構成の考え方、条件をクリアし要求に応えるための建築的手法、ディテールのデザイン、構造や設備における工夫などを学び、今後の建築設計・監理における手法の蓄積としていきます。

 今年は大阪・京都・名古屋の建築を見てきました。

 設計者や条件が違っても、複数の建築を見ることで共通する大事な考え方が見えてくるのも面白いところです。

中之島美術館(遠藤克彦)


 これだけ大きなボリュームを黒で覆うというのは相当勇気のいることだったと思いますが、思ったほどの違和感はなく見えました。周囲の建物が大きいので相対的に違和感がやわらいでいるのかもしれません。

 黒い外壁が注目されがちですが、狙いは余白としてのパッサージュで、各フロアに抜かれたボイドが中央の大きな吹抜けとつながり、美術館だから成り立つ贅沢な余白がつくられています。周辺の町ともつながり、ボイドを貫くエスカレーターによって日常から非日常的へのシークエンスをつくりだしていました。

 天井・壁のすべてがプラチナシルバーのルーバーで仕上げられており、光の濃淡だけで表情をつくっていることに感心しました。それによってパッサージュのコンセプトが明快に純粋に浮かび上がっています。

こども本の森中之島(安藤忠雄)


 安藤さんが自らお金を工面してつくってる子ども図書館シリーズで、その活動だけですばらしいのですが、建築としてはRCなのに人を突き放す冷たさがなく、ヒューマンスケールで親密感がありました。外部の独立柱は500角程度。サッシの割り付けも住宅のようなガラスサイズになっています。

 内部の天井も低く、おおらかな曲面壁が全面本棚になっていますが、手の届く範囲にあり安心感があります。吹抜けまわりの通路は幅90cm程度で横にならないとすれ違えないのですが、そんなスケール感が親しみやすく感じさせます。

 利用は予約制で同じ時間に100人ぐらいの方が利用されていましたが、みんな慣れたようになんの違和感もなく思い思いに過ごして、子どものスケールでつくられているので他人との距離が近く親密感がありました。

グラングリーン大阪(SANAA)


 大阪駅前の高密度な都市に贅沢なオープンスペースがつくられ、そこに有機的でおおらかな屋根が唐突に置かれることで、見たことのない印象的な風景が生まれています。周囲のビルとの対比が強烈で、基本的な原理原則から解放されたような建築でした。

 単純な形態だけど有機的である意味合理性がないものが、繊細なフレームデザインによって抽象化され、そこにあることに違和感を感じさせない、もしくは違和感はあるのだけれど、心地よい違和感にさせています。

京都市美術館(青木淳)

 1933年に開館した美術館の改修。前面を彫り込まれた広場にして、倉庫としてつかわれていた地下をエントランスとして改修、階段をのぼって1階のホールへアクセスするという鮮やかなアイデアが実現されています。

 特徴は、どこまでが既存でどこからが改修なのかわからないということ。

 地下からホールへ上がる階段や、ホールの螺旋階段やエレベーターも新しくくわえられたものとわかるけど、もともとそこにあったかのようにそこにあります。

 青木淳さんがよく説明に使うこの開口部も、もともとは腰壁付きの窓だったが、改修の痕跡なく出入口へと変換されています。

 新館の外壁は既存のタイルとは違う材料で、GRCにゴールドの金属目地という全く違う材料を使いながら、遠目に見ると同じように見えるという不思議な表現でした。

 デザインを主張するわけはなくむしろデザインしていることを感じさせず、でも何か不思議なことや体験が起きていて、感じ方はいろいろでよくて、その時々で見え方も解釈も変わるような、アート性のある建築だと思いました。

Common Nexus(小堀哲夫)


 湾曲した屋根スラブでハイサイドからの光を天井に反射させ、中央部では天井高さが抑えられることで空調効率を上げつつの光庭の採光効果を高め、湾曲した屋根の上は屋上緑化され芝生に寝転ぶという行為を誘発する。いろんなことがすべて同時に、ひとつのエレメントによって解決されていて、内部空間と外観と環境デザインが同時に鮮やかに非常にシンプルな形態・要素によって解かれた素晴らしい建築だと思いました。

 今回見た建築で「違和感のチューニング」という考え方を学んだように思います。

 建築としての解、みたいなものは無限にあるし、面白いもの・新しいものをつくりたいという思いがあるし、新しいことや普通じゃないことをやろうとしていったときに「違和感」というものがあらわれてくると思います。

 それがどうモノとして実現されるかのリアリティとの狭間で、どこまで・どういう風に表現として出すのか、はたまた隠すのか、抽象化するのか、その作業の積み重ねが建築になっていったときの面白いところであるし、そこをおろそかにはできないということを再認識することができました。